どーも、ホッシーです。
今回は、弾丸お遍路ツアー第二弾!前回5番札所「地蔵寺」まで行けたので(1番〜5番までの前回のブログはこちらから)第6番札所から時間の許す限り!
第一回目のお遍路ツアーも小雨でしたが今回も出発時は雨。つく頃には天気回復して雨もフラずご機嫌に参拝して参りました。
今回の参拝した札所はこちら
6.安楽寺
7.十楽寺
8.熊谷寺
9.法輪寺
10.切幡寺
ということで、6番から紹介しつつ行きます!
第六番札所:安楽寺
正式には、温泉山瑠璃光院 安楽寺
『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)には、阿讃の山麓から安楽寺まで寺域が点在してたけど、戦国時代の兵火や明治維新の神仏分離令を経て今の状態になっている。温泉山って由来は弘法大師さんが、温泉湯治(とうじ…温泉宿に長期滞在をして病気治療や療養を行うこと)の利益が与えられたことに由来。今でも大師堂前では温泉が湧いてます。
御本尊・薬師如来像は、難病を患った方が四国遍路途中に不思議と快癒。その報恩のために奉納されたものみたいです。多宝塔なども見どころのひとつ。
第七番札所:十楽寺
正式には、光明山蓮華院 十楽寺
御本尊は阿弥陀如来像。大師が巡教された時、この場で阿弥陀如来を感得。そのまま刻んだものとされている。人が生きる上で避けられない生・老・病・死という苦難に10の光明と、輝く楽しみが出来るようにと光明院十楽寺の寺名が授けられた。もともとは阿波北方きっての広大な七堂伽藍(しちどうがらん−寺の7つの主要な建物…塔・金堂・講堂・鐘楼・経蔵・僧房・食堂)を誇っていたが、長宗我部元親の兵火によってすべての堂塔が消失した。明治・平成と再建され現在の本堂となる。
本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、眼病に悩むお遍路さんの参詣が多い。
第八番札所:熊谷寺
正式には、普明山真光院 熊谷寺
大師がこの地で就業してる時に紀州の熊野権現が現れ「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ5.5センチほどの金の観世音菩薩を授け虚空はるかに消えていった。その場にお堂を建て、霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、その胎内に金の尊像を納めて本尊にされた。今ある本堂は再建されたものだが、大師堂に安置されている弘法大師坐像は室町時代のものらしい。
大日如来像が祀られてる多宝塔を中心に四方に如来像が安置されてます。1mくらいの橋がかかった弁天島があったり見どころ満載なところでした。
第九番札所:法輪寺
正式には、正覚山菩提院 法輪寺
現在の地より北に4キロの場所に元々あったが(その場所に礎石や焼土が残っている)長宗我部元親の兵火により消失。弘法大師がこの地方で巡教されていたとき、仏の使いであるといわれている白蛇を見つけたことから、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基された。涅槃釈迦如来像は、北枕でお顔を西向きに、右脇を下に寝ている涅槃の姿を表しているが、そばの沙羅双樹は白く枯れ、釈迦を慕い嘆き悲しむ羅漢や動物たちの像も安置されている。安政の時代に浄瑠璃芝居の稽古中に堂内から出火して鐘楼堂のみ残して全焼。現在の堂塔は明治時代に再建されたもの。
第十番札所:切幡寺
正式には、得度山灌頂院 切幡寺
標高155メートルに境内がある。ここで修法していた弘法大師は、結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は、織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。大師は、この厚意にたいへん感動し、「何か望みはないか」と尋ねた。乙女は、「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり、母は身ごもっていたが、男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと、清水の観音様に祈願し、やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい、「亡き父母に代わり、観音様をつくってお祀りし、わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ、さっそく千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し、身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。大師は、このことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。得度山、灌頂院、切幡寺それぞれの名称もこうした由縁による。
駐車場から歩いてると是れより333段の表示が。まー普通に大丈夫でしょうと登り始めるとこれが結構きつい。車遍路で移動で疲れがないのにきつい…歩き遍路で回ってる方は歩いてここまで来てからのこの石段…。333段、あなどることなかれ!(サニロに帰ってきてから話してて気づいたんだけど、2階まで上がるのに30段とすると、およそ10階分ありますよ。)
女厄坂・男厄坂を登りきると本堂に到着。かなり息が切れてる中、奉納したり読経したり。いつも息継ぎするところよりはるか手前で息継ぎ。癖がある読経する方がいらっしゃったりで全然集中できず。あまりにも笑うしかなく、もう一回真言を唱え直したりでした。帰り際まだ上り途中のおじいちゃんと挨拶交わしたあと、ボソッと一言「こりゃー今日はよー寝れそうじゃ」とおっしゃってました。元気が一番!なんとも不思議な思い出が残る場所になりました。
ということで今回は10番札所まで巡礼してきました!前回もでしたが、どこも山にあったりで木々に囲まれてたり。空気は澄んでいて静かだし、日常の喧騒が嘘のような時間でした。(8番はなにかしらの歌的なものがスピーカーから割と大音量で流れてて不思議な空間だったけど…w)
8番だったか9番だったかの札所の御朱印してくれる方に、お若いのに何がきっかけで?と尋ねられました。(実際その人が思ってる年齢より割と上、多分)まーやっぱり稀有なケースなんだろうと思いました。周りにお遍路行ってる!って同年代なんて聞いたことないしね。
歩き遍路ほど自分と対話する時間なんてないかもしれませんが、門をくぐって清めて本堂、大師堂と周り、多宝塔やその場所にある説明見たり奉納されてるものを見たり、遍路されてる方々のバックボーンに思いを馳せてみたり。それだけで何かスッとするものがあります。自分が生きてない時代からそこにあるものばかりだし、そこにあるパワーは計り知れません。
音楽も店もデザインとかも続けてみて「こういう勉強になった」とか「身になった」とか思うわけで、何か得るものがあると確定されてるものなんてないし、何か得たいものがある?と聞かれても、今はまだ「興味がある。続けてみたいから続けてる、行ってみたかったから行ってみた」と答えるのが精一杯な気がします。
ここまでは札所同士が5分〜15分くらいで移動が可能で割とさくさくと進みましたが、次回からは30〜1時間半とか普通になってくるみたいなのでナメクジペースでしか進めそうにないですが、行ける時にマイペースに行きたいと思います。